DAY115 南米北上紀行16 クスコ→リマ 仕事と生業(個人的思考の回)
朝クスコを発ち、飛行機で一路リマへ。
クスコの宿の主人(30代半ばくらい)と仲良くなったのに、そういえば写真の1つも撮らなかったなあと後から気づく。
写真を撮る習慣はついてきたが、まだ人物を撮ることに頭が向かない。
まあいいか、生きていればまた行き合うこともあるでしょう。
リマ。
・タクシーでまたも揉める
・空港周辺はスラムだから徒歩では行くなという記事を目にしたが、確かに空気が違う。この旅でおそらく初めて空気に鳥肌が立った。
・調べたら市街の一部は歴史地区として世界遺産登録されているとのことで観光。
教会4つと広場を巡ったけれど、正直、世界遺産だ!という実感と感動はありませんでした。
サン・ペドロ教会で結婚式に出くわし(式の最中も観光客出入り可能だったので)しばし見させてもらってこれは良かったです。
つなぎの1泊のつもりでこちらもいたからかわかりませんが、印象は薄かった街でした。
おまけ
リマの空港では、広告液晶にひっきりなしに行方不明の子供の写真が出るから本当に怖かったです。
<今日のワンポイント経験値>
なのでちょっとクスコを振り返ります。
朝7時、タクシーから見た街の姿。
早い時間から街角で肉や野菜を売る人たちを見ていると、「生業」という言葉が浮かんできます。
「仕事」と「生業」は別物だと僕は思います。
生業は、何のために、誰のためにという目的が明確です。
というより、有無を言わせず、家族とともに生きていくためのものでしょう。
仕事というもの。
家族のために働け、と言われながら、1日のほとんどを仕事に費やし、その家族の顔をゆっくり眺めることもない日々。
自己実現のために働け、と言われながら、人生のほとんどを仕事に費やし、自分のことを振り返る時間もなく消費し続ける日々。
じゃあ実際誰のために、何のために働いているのかわからなくなるから疲弊したんだろうな、と、仕事を離れた今、つくづくと感じます。
日本に帰ってから手に入れるべきものは、仕事ではなく生業でありたいなと、朝のクスコでつくづく思うのです。
大儲けはできないかもしれないけれど、何のために働いているのか胸を張って言えるような。
多分このようにクスコの光景を肯定的に捉えられるのは、僕が昭和のおじさんでしかも青森の田舎がルーツだからかもしれません。
昭和の田舎と同じ空気感のある、リアルな生を感じさせてくれる場所でした。
リアルを見失った中年のあなた。
クスコに一度おいでよ、ぜひ。
ここにはリアルが当たり前に息づいているよ。
<今日の支出>
・食費 75s
・宿泊 164s
・タクシー 69s
・飛行機 272s
・観光 15s
・雑費 34s
合計 619s
<今日の1曲>
ツバサ / アンダーグラフ