DAY111 南米北上紀行13 マチュピチュ① てんやわんやですよ
それは昨夜11時に来たメールから始まりました。
意訳
「クスコ市内明日交通ストライキやるからね、でもかわいそうだからマチュピチュ列車は走らせるね。ただし始発駅はオリャンタイタンボ(60km先の駅)にすっから、そこまでは自力で来てね」
とりあえず飛び起きてホテルの人に聞いてみるとこれまでも何回もあったようで
・クスコからオリャンタの乗合バスもおそらく止まる
・タクシーしか手段はないが、需給のバランスが崩れるからタクシーも捕まりにくい
おっと、そういえば昨日僕は既にタクシー(といっても、そこの代理店の社員が社用車で送ってくれるというもの)の手配を済ませています。なんてクレバー。
あとは行き先を、20km先から60km先に変更交渉すればいいのです。
まあなんとかなるだろうと就寝、そして朝。
約束の時間に約束の場所に車が来ないなどあったのですがさておいて
僕「オリャンタまで行ける?」
タ「行けない、だからオリャンタ行きのバス停まで連れていく」
行けないならキャンセルしてuberも考えていたのですが、そこまで遠くに行ける車を見つけるのもおそらく後手に回るので、これは呑むことに。
でもバス停までは相場5ソル。
僕「俺昨日50払ったよな、45返せよ」
タ「いやちょっと何言ってるかわからないです」
僕「いやお前昨日の奴だろ、メガネで変装したつもりか?俺50払ったよな、50、50、50!」
タ「いや、そんなお金ない」
僕「おいそこに財布あるじゃねえか出せよ早く金、45、45、45」
タ「いやほんとにわかんない」
僕「ああもう時間ないからクスコ帰ってきたらお前会社にカチ込むから待っとけよ」
・当然お金を払わず出て行きました
・チリのタクシーにはメーターがありませんが赤白の印が車体に付いています。それが付いていません、例の社用車です
・僕は自分の名前も旅行代理店の名前も言っていません
以上を覚えておいていただくと3日後のフリになります。
さて起床1時間目からエキサイトしたはいいのですがタクシーを飛び出した先のバス停(というのは名ばかりのただの路地)には、同じように途方にくれた旅行者が多数います。
そんな中現地人を見つけ、「オリャンタ?」と聞くとそうだと。
ただし乗合バスは止まっているしタクシーもいつ来るかわからない、という感じのこと。
他の旅行者巻き込んでシェアするか、この現地民をうまく使うか・・と考えていたところ、路地に来たタクシーを現地民の強みで我先に捕まえました。さすが。
「オリャンタまで120ソルだって言ってるけどいい?」
この時の僕の頭の中は
・まずは時間がギリギリである
・代金をシェアして乗り合うつもりではあるだろうから多少割合多くても時間を買おう
OK!
と、次の瞬間現地民(おっさん)の後ろから大荷物を抱えた妻と子供2人が出てきます。セダンのタクシー=ドライバー+4人家族+僕+大荷物。方程式がどうにも合いません。
1分後、普段の70%の大きさに体を縮め、トイレットペーパーの束を膝に抱えた僕を乗せてタクシーは出発です。
どうやら彼らもマチュピチュ民で電車の時間が迫っているらしく、道順などをドライバーに説明しています。
ここまでは力強い味方といえましょう。
ですがその指定した道は
乗合バスですら通らない山の中の集落
未舗装の道をハイスピードで駆けるセダン
具合悪くなって戻しはじめる子供
揺れによりこみ上げる尿意
寒いからと閉められた窓
微動だにできず、かと言って手元の携帯でも見ようものなら3分で酔える状況です。
これで走ること実に90分。
うろ覚えの般若心経を50回くらい唱えたころにようやくオリャンタイタンボ駅に到着です。
ところでタクシーに乗り込む時、それまで不機嫌だった奥さんが、旦那が何か言った途端手のひらを返すように愛想よくなったことを思い出しました。
もしかするとこれは、と思ったらやはり、家族一同、ありがとうございます旦那様、という体のパフォーマンスを見せながら僕を見ています。
そうです、僕は彼らのパトロンだったのです。
せめて端数の20払えよなどと思いますが、小さい子供の前で見知らぬ外人と両親が金で揉めるのはよくありません。
まあえてして、スムーズにいったことよりトラブルのほうが後から思い出にもなるものですし、彼らなしでは電車に間に合わない可能性の方が高かったわけなので、ここは払うことにします。
ここまででもう心身ともに疲れ果てていますがまだ朝の10時。
マチュピチュまでの電車は、超高級ではないけれど窓が広い人気の種類「ビスタドーム」です。
やれやれちょっと落ち着いて電車で寝ようかな、と席に行ったところ
能天気なイギリス人、数家族のグループのど真ん中でした。
向こうも最初気まずそうでしたがそのうち気にせずゲームなど始めてヒャッハーしています。
テンションの渦の中で疲労を蓄積していく僕。
90分で電車はアグアスカリエンテスに到着。
で、駅前からバスに乗っていけばマチュピチュです。
バスは駅前とは言っても徒歩5分くらいの場所(別記事で書きます)。
宿に荷物置いて、昼ごはん食べて、まずは心を落ち着けないと無理だこりゃ、と思いながら歩いていると、アジア人の女子が周りの人にバス停の場所を聞くも要領を得ずに歩いています。
「アプリだとこっちですよ」思わず声をかけていました。
流石に、バス停まで送らずに別れもできないしバス停まで行ってしまったら宿まで逆行するのは面倒だし。
となると、そのまま連れ立ってバスに乗り込む流れに。
…憧れ続けた人類の謎、マチュピチュに立ち会うにはあまりにも心の準備ができていません。
さてこの子はシンガポール人。
僕「今ってガイドをつけないとマチュピチュの中に入れないんだよね?グループになると安いらしいからグループになりませんか?」
シ「ううん、私ガイドいらないから1人で行くー」
ガイドいらない??
またもや心がざわつきます。
あれ?どんな情報見てもガイドがいないと入れないって書いてあるけど???
などとモヤモヤしているうちに、バスから見える山肌の段々畑という最初の感動を逃してしまいました。
バスが着きます。
ガイドたちがわらわら集まってきます。
さてグループを探さないと…。
彼女は本当にどうするつもりなんだろう?と思って見ると、「じゃあねー」と言ってエントランスに入っていきます。
何なの?バカなの?それともガイドって不要なの?とぐるぐるしますが、僕は真面目な日本人なのでちゃんとガイドを探します。
1人のガイドをつかまえ、グループを作って入れてくれと依頼して30分、ようやくアメリカ人ご一家とグループになれました。
果たして30分程度では精神的に息が整いません。
なんだかまだフワフワしたままでスタートです。
写真の通り、マチュピチュはいつの時代も変わらず綺麗です。
午後の晴れた時間でした。
アメリカ人家族の弟くんがカメラ好きのいい子で、何度も僕の写真も撮ってくれました。
マチュピチュの美しさを相殺したくないから載せないけど。
そういう意味では良かったのですが、いかんせんこの広い遺跡を2時間で解説して回るため、ガイドのペースで流れ作業、ゆっくり想いを馳せる時間はありません。
はい見てー、はい写真撮ってー、の繰り返しです。
で、出口近くで解散となるわけですが、マチュピチュの遺跡内は一方通行、もう一度ゆっくり見たくても後戻りはできません。
チケットも再入場ができません。
ということでここまで来ておいてなんですが、本日の感想は
「ああ、こんなもんか」です。
いや、明日の本番に備えてリハのつもりで急遽今日のチケットを取りましたが、正解です。
人生でおそらく一度しかないチャンスがこれだったら、死ぬまで引きずる案件になるところでした。
まあいい写真が撮れたことが収穫ですので、インスタにでも上げようかしらと考えながら下山、ホテルに向かいます。
しかし今日のトラブルの星はここでは終わってくれません。
ホテルがない。
グーグル先生、maps meともに同じ場所を示していますが、そこにあるのは別のホテルです。そのホテルに入り、予約したホテルを確認するも、そんな名前のホテル知らない、住所が違う、おそらくこの辺だ、と示され、全然違う場所まで行って1軒1軒調べます。
ここまでで30分。
陽も落ちて、さすがにこれはいかんとホテルに電話。
→スペイン語しか話せない。
イライラもピークで、それでも英語でまくしたてる。
保留から電話が切れること3回。
もう違うホテル泊まってしまおうかと考えた時、英語のわかる人(どうやら近所の人らしい)が出て、今あんたのいる公園に迎えをやらせたと。
ふと見ると年の頃14、5歳の女の子が怯えたように僕の名前を書いた紙を掲げて周囲を見ています。
もうね、この子の顔を見た時の自己嫌悪が一番精神的に堪えました。
結局ホテルの場所は、街中の大きな公園を挟んで地図とは真逆の方向、500m以上離れていました。
このやり場のない怒りはどうすれば、です。
この子が悪いわけではないので、せめて笑顔を作ろうとした僕の引きつった顔を彼女が1日でも早く忘れてくれることを祈っています。
以上をもちまして「憧れ続けた遺跡を前に感動の1つもできなかった話」を終わります。
長々すみませんでした。
<今日のワンポイント経験値>
マチュピチュのことは別の記事にします。
<今日の支出>
・食費 83s
・宿泊 120s
・タクシー 120s
・チケット 152s
・バス 77s
・手数料と先払いタクシー代 70s
・有料トイレ 4s
・土産 29s
合計 655s
<今日の1曲>
てんやわんやですよ / CRAZY KEN BAND